2009年7月 3日(金) 11:55 JST
ようこそ! 綾部健康友の会のホームページヘ

このホームページは、【健康ひろば」のホームページを受け継ぎ7月1日仮オープンしました。まだ薄化粧でコンテンツも揃っていませんが暫時充実させていきますので、宜しくお願い致します。
前回までは綾部市にある戦争遺跡について書いてきました。
今回から海軍福知山航空基地(通称石原飛行場)とその周辺にある関連施設跡について書いてみます。
下の写真は昭和20年8月22日の日付のある図面です。
名称は「福知山航空基地平面図」と記され、航空基地にどのような施設が作られていたか、その工事の進捗状況はどの程度だったかや工事方法、施設の規模などが記載されています。
戦争時には金属や燃料が大量に必要になってくる。
そのため太平洋戦争中に日本各地で質の悪いものも含めてそれらの素になるものが掘られていた。
昭和13、14年頃に、現国道27号線の西原町バス停から鷹栖町長瀬までの間を軍用道路(大阪と舞鶴を結び、戦車などを運ぶため)にするための拡幅工事が行われていた。
昭和16年には飯場がなくなっていたのでこの頃にここの工事は終了していたのではないかと思われる。
小貝山(写真)は、綾部市小貝町にあり現在「創造の森」として公園化されている山である。
ここに太平洋戦争末期高射砲が六門配備されていた。
現在山の頂上に登ってみると、平地が広がっている。草が茂っている中をかき分けてみると、いくつかの窪地を見つけることができる。
これが砲身五、6メートルくらいの高射砲が据え付けられていた砲座と兵隊の待避壕跡である。
頂上の部分に4門、西斜面を少し下った所に二門高射砲が据えられていた
太平洋戦争が終わりに近づいた頃、綾部市高槻町に火薬廠(神奈川県平塚にあった第二火薬廠と言われる)を疎開させるという計画が伝えられた。
火薬廠とは戦争で使う砲弾や弾丸を製造するところである。
隣の舞鶴には第三火薬廠(第三火薬廠になったのは昭和16年4月であり、外の地に第一、第二火薬廠があった)が戦前からあった。
周りを山に囲まれた菅谷(現綾部球場付近)が候補地となった。
先日、海軍福知山航空基地(通称石原飛行場)関連戦争遺跡のフィールドワークを行った。
この飛行場は、太平洋戦争末期に予科練習生の訓練のため、近くの工場で製造される戦闘機(紫電改)のテスト飛行をするため、また本土決戦に備えて建設されていた。
今回は、数多くある飛行場関連施設の一つである「燃爆格納隧道」を、近くに在住の方に案内してもらった。
戦後に撮られた航空写真を見せていただくと、飛行場の滑走路の姿が映し出されていた。
この1月、綾部平和委員会の平和学習ツアーで広島県竹原市の「大久野島」に行かれた友の会会員さんも多くおられるのではないでしょうか。
この島は戦前から毒ガス兵器を製造していた島で、戦争中は地図からも消されていた秘密の島でもあったのです。

▲綾部平和委員会平和学習ツアー:広島県竹原市「大久野島」
私も一昨年夏、この平和ツアーに同行させてもらい、長野県の「松代大本営地下壕群」を見学してきました。ここは、太平洋戦争での日本の敗戦が色濃くなった頃(1944年秋)、戦争の最高統帥機関であった大本営や天皇、皇族、政府機関、日本放送協会(現NHK)など、国家と軍の中枢を首都東京から松代町に移転して本土決戦に備えようと地下壕などを掘っていたところなのです。
壕内や地上部の施設を見学したりお話を聞いたりして、あらためて先の戦争について考えさせられることがありました。