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2009年1月 No.207

2008年5月27日(火曜日)

便の便り(創刊号)

カテゴリー: - ayatomo @ PM4:02
川島市郎
初夏の風が吹き、緑がまぶしい季節が突然やってきました。
今年も暑くなりそうですね。
皆様、はじめまして私は、京都協立病院外科の川島市郎と申します。
今年の4月に京都協立病院に赴任して参りました。宜しくお願いいたします。

私の専門は大腸肛門です。消化管の出口に近い方を専門にしています。
外来では便秘や痔でお悩みの方、また、便が漏れてお困りの方とお付き合いをさせていただくことになります。

大腸肛門分野の診療は便の具合を聞くことから始まります。
便は日常生活ではマイナスイメージで受け止められています。
失敗してしまったときに人は『クソ』と言います。
気に食わない人に対して『クソッタレ!』と罵声を浴びせることもあります。
接頭語で使えば『クソ力』『クソ爺』、『クソまじめ』接尾語で使っても『やけクソ』『へたクソ』他にも『味噌クソ』や『目クソ鼻クソを笑う』など便のマイナスイメージをあげたきりがありません。

しかし、京都ではどうでしょう。
おばあちゃんが保育園に通っている孫にこういっていませんか『今日はいいウンコさんどしたな』(私は関東人なので京都弁を聞き違えしているかもしれません)京都弁のことはどうでもよいのですが、重要なのはウンコに敬語を使っているところです。
健康のバロメーターである便に敬意を表して京都ではクソではなくウンコさんなのですね。
私は便に敬意を示す京都人に共感して京都で生活することを決意しました。(それはウソです)

冗談はさておき、便は、私にとって正しい診療をするための大事な情報源なのです。
便は皆さんにとっても大事な便りといえます。
便は健康のバロメーターです。
かぜをひいただけで便秘気味になりますし、おなかをこわせば下痢になります。
大腸に傷がつけば便に血が混じります。
怖い病気、大腸炎や大腸癌がないか調べる必要があります。
痔主(じぬし)の方は排便の時に血をみて不健康感を味わうことになります。
また、ストレスが便の性質を変える(便秘になったり下痢になったり)ことだってあります。

便は大事な便りですよね。
それなのに義務教育では便の見方や便の仕方は詳しく教えていません。
ウンコの仕方も知らないまま成人式を迎えた皆さん、このままでは良くないでしょう。
『太く長いバナナのようなウンコが一回では流れきらんかった』と自慢する人、あなたは間違っていますよ。
このままでは自信をもって子供を育てることも出来ないでしょう。
不安で一杯でしょう。
そんなあなたと一緒に便について勉強していただくために便の便りを創刊いたしました。

便のことでお困りのことや御質問がございましたら遠慮なく御尋ねください。

出来る限りの回答をさせて頂きます。

京都協立病院 副院長・外科医長 川島 市郎


2008年5月2日(金曜日)

海軍福知山航空基地跡

カテゴリー: - ayatomo @ AM9:19
前回までは綾部市にある戦争遺跡について書いてきました。
今回から海軍福知山航空基地(通称石原飛行場)とその周辺にある関連施設跡について書いてみます。

下の写真は昭和20年8月22日の日付のある図面です。
名称は「福知山航空基地平面図」と記され、航空基地にどのような施設が作られていたか、その工事の進捗状況はどの程度だったかや工事方法、施設の規模などが記載されています。

海軍福知山航空基地図面



これは、終戦直後に進駐してきた米軍に報告するために作成された図面だと考えられます。
終戦一週間後に進駐軍がこのように詳しい報告させていることに驚きます。

現在この図(コピーのようです)は福知山城の中にある市の資料館に保存されています。
海軍福知山航空基地について公式に記録されたものとしては今のところこの図しかありません。
昭和22年11月に米軍が撮影した飛行場周辺の航空写真が残っていますが、それを見ると滑走路跡(すでに一部農民の方がコンクリートをはがしている)などがよく分かります。

航空基地の中心になっているのが滑走路です。
進捗図に記載されている記録によると、長さ1,700メートル、幅50メートルになっています。
そして、その両側(南北)に幅80メートルの飛行機待機列線(飛行機を並べておく場所)が造られていました。

位置は、現在の広域農道のところで、範囲はほぼ戸田の信号の所から前田の信号の所までです。

構造はコンクリート造りで、西の端の一部だけはぐり石を敷きその上に金網を張っていました。

戦後このコンクリートをめくって農地にもどされた農民の方たちの苦労は大変なものであったようです。
このことは、戸田の信号の横に移設された「復旧記念碑」の碑文を読んでみるとよく分かります。

この滑走路でどれだけの飛行機が離着陸したかは分かりませんが、昭和19年の10月から建設を初め20年の6月頃に完成したということですのでそんなに多くはないと思います。

次回から少しずつ基地内外の施設の跡を紹介していきます。

※関連記事:戦闘機の車輪か?

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