海軍航空基地燃料庫跡

佐賀小学校の西の谷間(高龍寺山北山麓)に崩れた横穴が10数個見られます。
今も少し中に入れるような隧道跡もあります。
アジア太平洋戦争終戦時には、谷間にあった棚田が埋められトロッコの軌道が各隧道まで敷かれていました。
そして、すでに隧道には航空機等の燃料を入れたドラム缶が運び入れられていました。
ここに燃料庫が造られたのは、由良川の南側に建設中の航空基地で使われる燃料を隠匿保存するためでした。
昭和20年の1月に「3月からはこの谷に入れなくなる。」と役場から住民へ伝えられ、その後秘密裏に工事が進められていきました。
工事に従事したのは海軍の将兵で、その中心になっていたのは滋賀海軍航空隊第27分隊第14期予科練習生(16〜19歳)でした。
この予科練生は佐賀国民学校(現佐賀小学校)の体育館兼講堂で生活し、燃料庫や飛行場、高射砲陣地の建設に毎日出かけていました。
将校や教官は別棟の木造校舎にいました。
工事は学校の北側に街道から谷の奥まで進入路を造り、その後隧道掘削工事に移りました。
作業は、可能な所はつるはし、スコップ、鍬などで掘り、岩に突き当たればダイナマイトを仕掛けるといった方法で行われました。
ダイナマイトの操作は兵隊が行っていました。
実際に掘られていた隧道は、高さ3メートル、幅2.5メートルぐらいで奥行きははっきりしていません。
穴の周りは松の丸太で枠を組み、それに矢板をかましていました。
この地に航空基地の燃料庫が造られたのは、飛行場との間に高い山(高龍寺山)があり、飛行場が爆撃された時も山に守られ被害を免れるからだと思われます。
また、南側(飛行場側)から見えないこともこの地が選ばれた理由と考えられます。
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