K君のこと
もう40年以上も昔のことだ。
K君という在日朝鮮人の子どもがいた。
綾部市相生町、それが私の生まれ育った町名である。
母にいわせれば、「昔はなあ、捨藪と呼ばれてきたない、おしっこをしていくようなとこやったんや」
そう言えば、雨の降る日は、じめっとした細い道のどこからか、すえたようなにおいがしていた。
そんな陰気な通りのまだ奥まったところにK君の家はあった。
K君と私は同級生で、いくつか違いの妹とは仲が良くよく遊んでいた。
何度か家に遊びに行ったことがある。
にんにく入りのキムチという食べもの、オンドルという足の温かい床。
確かに日本とは違う異文化を子ども心に感じた。
しかし、なぜ、日本に朝鮮人がいるのか、日本の名を名のっているのか、子どもの私には知るよしもない。
まわりの誰も教えてくれなかった。
狭い部屋いっぱいその体躯を伸ばして寝ていた寡黙なお父さん。
K君のご両親は強制連行だったのだろうか?
どんな思いで日本で生活されていたのだろう。
もっと色々な話がしたかった。
しかし、まもなくK君はいなくなった。
「国に帰ったんや」とおとな達は言っていた。
昔のことだ。
もうK君という苗字以外、下の名前を思い出せない。
兄弟の顔も忘れてしまった。
ただ、オンドルのぼんやりとした暖かさだけが、今もかすかに足の裏あたりに残っている。
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